階段の軋む音で目が覚めた。
うっ、何時だ今は!?
枕元の懐中電灯をつけて針の位置を読む。
4時ぴったり。
おおっ、起きなアカンじゃん!というか、4時に鐘鳴るんじゃなかったっけ?
鳴ったのかい、これは?
後々振り返ってみても、この日は鐘係の人が寝坊したんじゃないかって思うのだが、それはさておき、とにかく起床。
地球が温暖化しているとはいえ、GW前の山奥の早朝は結構肌寒かった。
別棟でトイレ、髭剃り、歯磨きを済ませているうちに4時半が迫る。
ゴォーー〜ーン・・・ゴォーーーーーン・・・ゴォーーーーーン・・・
腕時計を見ると、瞑想開始4時半の10分前。
駆り立てられるように、2階のホールへ向かった。
人間、やればできるものである。
左隅の自分の位置から続々と入場してくる人たちを眺める。
大の大人たちがそろいもそろって、京都の山奥で早朝4時半に全員集合。
胡坐をかき、目を瞑る。
カチャリ、ボタンを押すような小さな音に続き、微かなノイズ音が流れ、やがてゴエンカ氏の録音音声が場内に響いた。
calm・・・ quiet・・・ mind・・・ observe・・・ breathe・・・ nose・・・ through・・・ right side・・・ left side・・・ both
聞き取れた単語はこのくらいだったろうか?
インド訛り?の強い英語。
数年に一度出会う、「英語やっときゃよかった・・・」という後悔。
その後悔は、ゴエンカ氏の後に続く日本語訳で「やっぱいいか」と一瞬で妥協する。
お題はこうだ。
自分の呼吸を観察せよ
息が右の鼻の穴を通るのか、左の穴を通るのか、もしくは両方の穴を通るのか
それに気付いていなさい
というもの。
簡単そうでしょ?
それがね、もうびっくりするくらい、できないの・・・。
目を瞑り、鼻に意識を集中しようとする。
鼻の内部を空気が通過するのを感じる。
なんだ、なんてことないじゃん。
そう思った次の瞬間から、意識は鼻を離脱する。
あの仕事やんなきゃな・・・そういえばあの時、こんなことがあったな・・・金本選手って、なんで阪神へ移籍したんだっけ?・・・
過去の思い出やら、最近の仕事のことやら、しまいにはあり得ないシチュエーションの未来の話?まで、妄想は限りなく膨らんで、自分の呼吸なんて、すぐに忘れてしまう。
なんかの拍子にハッと我に返り、呼吸に意識を集中しようとする。
でも、うまくいかない。
僕は衝撃を受けた。
僕は、僕は自分の思考を、全くもって自分の意思で制御することができない・・・
何度トライしてもダメ。
数えたわけじゃないから、正確なスパンはわからないけれど、早ければ数秒でまた妄想のアンコントローラブルな世界へ突入してしまう。
まあでも、妄想の世界へ行っちまったところで、誰かが「コラッ!」って叱ってくれるわけでもないし、とにかくハッとするまでは自分の妄想の世界に浸っているより他ない。
開始20分くらいだろうか。
別の問題が頭をもたげ始める。
足が、痛え・・・
胡座を組んだ時に重なる足首の少し上の部分。
ここが超痛い。
妄想へ飛んでしまう以前に、足の痛みで呼吸を観察するどころではない。
痛みの耐久が7割、残り2割が妄想、呼吸に気づけている時間なんて、いいとこ1割くらいではなかろうか?
このセッションの終了は6時半。
2時間目を瞑ったままできるだけ姿勢を変えずに座り続けながら自らの呼吸を観察し続けるという、冷静に考えると日常生活ではあり得ない設定。
痛みには波があった。
そのピークには身を捩って耐える。
脂汗を滲ませながら痛みが若干引いて、束の間の妄想の後、すぐに痛みはぶり返した。
超、しんどい。
痛みは悪くなる一方。
歯を食いしばって悶えまくっているうちに、右ふくらはぎに激痛が走る。
これ、マジで右足に後遺症残るんじゃないの!?
僕を支えたのは一つだけ。
「過去の生徒も同じ道を辿ったはず」という、状況証拠からの事実。
だから、たぶん大丈夫なはず!
おそらく他の生徒も感じていたであろう、「まだ終わらないのか!?」という抗いがたい感情。
呼吸の観察どころじゃなくなってからどれほどの時間が経ったのかわからないくらい時は過ぎて、その瞬間は唐突にやってきた。
だって、目瞑ってるから、なんもわかんない。
ふくらはぎの激痛が、フッと消えたのだ!
それはまさしく「フッと」湯船の栓を外した時のように、流れるように消えた。
えっ?なんで?
次の瞬間、それもまた唐突に響いた。
アニッチャァァーーーアアートゥサンカーアーラー!!
ゴエンカ氏の独唱。
いや、こんな言葉だったか、正直全く覚えていないんだけど、これを皮切りに、ラップとお経の中間ぐらいのテンションでゴエンカ氏は歌い続けた。
この、あまりにも良すぎるタイミングに、僕は胸を鷲掴みにされた。
たまたまかもしれない、でも、ちょうどそのような現象が起きるタイミングなのかもしれない、人間の構造上。
それが起きるまでの時間をちゃんとわかっていて、その上で時間が設定してあるのではないか?
ちょっと考え過ぎかもしれないけど、あまりにもタイミングがピッタリ過ぎて、そう思ってしまった。
この痛みが消えた現象について考察ができるようになるのは、9日目になってからである。
ゴエンカ氏の独唱はしばらく続いたが、やがて止み、ゴォーーーーーン×3の鐘が鳴った。
まさに救いの鐘。
昨日の山菜そばだって、そんなに量なかったし、お腹はペコペコだ。
痛む足を引きずりながら、食堂へ。
五分つき米に味噌汁にパン。
ああ、あと漬物も少しあった。
僕は決断した。
普段食べないコメ、パン、味噌汁、これら全て解禁じゃ!!
じゃないと、食べるものがない!!!
米もそうなんだけど、久しぶりに食べるパン、激ウマ。
たぶん、他の生徒たちからしたら「質素」なんだけど、普段禁止してる僕からしたら、ある意味「豪華」な食事であった。
次の瞑想は8時から。
朝食を食べ終えて、まだ1時間くらいの余裕がある。
昨日浴びていないし、ここでシャワーを浴びようとするも、先客。
コロナ対策で、使えるシャワールームも指定されていて、空いてるところをむやみに使えない。
しばらく待って、シャワーイン。
畳1畳ほどのスペースで軽くプルプル震えつつ、でも気持ちいい。
作戦があった。
そのまま、洗濯へ。
洗濯機はない。
手洗いした後、初めて見る脱水機。
手筒花火を床に置いたようなその風貌の機械に、添えられている取説を見ながら四苦八苦。
どんな簡単な機械だって、それを使ってみる、何回も使っていくことでしか、その操作方法は習得できないものだなと、改めて実感。
さて、この遠心分離式の脱水機、回転が止まるまでかなり待たねばならない。
翌日からは手で雑巾絞り方式に変更する僕だった。
ちなみに、作戦というのは、毎日少しずつ着ていたものを洗う、ということ。
この修行参加の注意書きに「洗濯ものを干すスペースが限られているので、十分な着替えを持って来るように」という話があって。
そんな中、初日の朝から洗濯するよなアホは僕だけなんだけど、でも、逆に言うとみんなの洗濯するタイミングが重なる可能性があるわけで。
それこそ、洗濯物を干せないって状況になるじゃない?
なので、洗濯物渋滞が起きた時に「今日はやめて、明日に洗濯しよう」ってできる状態を維持しよう、そのために毎日コツコツ洗濯しよう、って作戦。
そこまでやって、ようやく休憩時間の到来。
次の瞑想開始時間が迫る中、貴重な時間を踏みしめるように、僕は少し庭を歩いた。
ホールでスタートした瞑想。
そんな簡単に修行の成果が出るわけもなく、僕の意識は浮遊し続けた。
足も相変わらず痛い。
ふくらはぎの痛みは無くなったけど、両足がクロスするところが劇的に痛い。
もうね、途中からなんて「もう早く終わって!終了の鐘、まだ鳴らんのかいな!?」って、ひたすらこのターンの終了を願ってる。
ゴォーーーーーン・・・
もう2回鳴って、5分間の休憩。
朝一は2時間だったけど、今9時だから、1時間でブレイクが入ったわけで。
そういう意味では多少楽なんだけど、瞑想中の状態は全く改善されていないわけで。
5分後にまた鐘が鳴って、リスタート。
と、ここで、新しい生徒は自室で瞑想するよう言われ、自室へ移動。
1日3回あるグループ瞑想以外は、自室 or ホールどちらでも良いんだって。
好みだと思うけど、僕は断然ホール派。
自室だとどうしても気が緩んじゃう。
でも、メリットもあって、自室だと人口密度が低かったり、その分雑音も少なかったりする。
自室で瞑想したからといって、何かマシになるわけもなく、意識は飛び続け、足は痛み続け、やがて諦めたかのように鐘が鳴った。
額を床に付け、少し四つん這いになって、足の痛みを抜く。
人とは、なんて情けない生き物なんだろうか。
11時からは昼食だ。
これ書いてるのが1ヶ月半以上経ってからだから、もうさすがに記憶が薄れてる。
でも、たしか酸っぱい野菜と米と味噌汁だったような・・・
量も相変わらず少なくて、お代わりしようとして鍋やボールを見ると、もうすっからかんに近い。
他の人の分もあるから、お代わりなんてできないし、ちょっとよそいすぎたかな?と少し罪悪感さえ覚える。
13時までは1時間半ほどある。
僕は歩いた。
庭をひたすら歩いた。
これは、コース終了までそうだったけど、休み時間をずっと歩き通しているのは僕だけだった。
他のメンバーは散歩に来たり、ベンチに座ったりしても、ぶっ通しで延々と歩く、なんて僕のようなことはしていなかったな、そういえば。
途中でサーファーのにいちゃんが庭で仰向けに寝そべっていた。
おい、サーファーのにいちゃん!その行為、禁止事項で書いてあったぞ!!
僕は心の中で必死に叫んでツッコむが、戒律によってコミニュケーションは禁じられている。
もどかしさを胸に仕舞い、野生動物の糞に気をつけながら僕は歩いた。
昨日の糞は少しだけ土へと近づいているように見えた。
足への激痛の恐怖と共に、昼からの瞑想はスタート。
まだ足が痛くならない前半戦で呼吸に気づき続けるための工夫を模索する。
そうだ、セッションの最初に流れる録音。
そこで語られている「自分の呼吸に気づいています」という言葉。
気づいています、気づいています・・・
自分の頭の中でそう唱え続けると、多少マシなことに気づく。
唱えないよりも、意識が他へ移ってしまうまでの時間が長持ちするような気がする、なんて言うか、気付け効果があるというか。
これはいい、これでいこう!
そう思ったのも束の間、順調に足には痛みが走り始める。
悶絶と共に呼吸どころではなくなって、長い苦痛の時間を経て、救いの鐘は鳴った。
あの鐘を鳴らすのはあな〜た〜♩
不意に和田アキ子さんの歌声が浮かぶ。
いや、その鐘を鳴らすのは僕じゃない・・・。
5分休憩の後、次のセッションがスタート。
ここで、会場正面、生徒のより一段高いステージのような場所に座る「先生」的な存在の人が発声。
〇〇さん、〇〇さん、〇〇さん、〇〇さん、こちらへ来てください。
おおっ、呼ばれとる!
先生の前に座った4人へ、穏やかに先生が話かける。
どうですか?5分以内に呼吸に気付けますか?
各々ができる、できないで答えていく。
できる人に対しては「けっこうです」、できない人に対しては「少し強めに呼吸してみて」とアドバイス。
全員に聞き終わると「では、少しここで一緒に瞑想しましょう」と目をつむる。
2〜3分くらい?経つとけっこうです、自分の席へ戻って瞑想を続けてください、と解散。
次の4人が呼ばれる。
僕は一番後ろの席だったので、最後の方に呼ばれた。
後半はできていないけど、前半はできてる、なんて答えよう?
少し迷ったけど、大丈夫です、と答えた。
その後、隣の隣のサーファーのお兄さんが答えた。
痛みでそれどころじゃありません。
うっ、なんて正直ないい答えなんだ!
さすがサーファー、海で心が清められているからか、なんというか、無理して取り繕うところが薄いように見える。
自分がなんだかちょっといい感じに答えようとしていたように思えて、恥ずかしくなった。
自席に戻っても足の激痛による悶絶は変わらず、永遠に鳴らないのではないか?と思える救いの鐘は、それでも希望が切れ切った頃に鳴った。
昼食後、これで2ターンが終了したわけだが、5分休憩した後にもう1ターンある。
当時は気づかなかったが、スケジュール的にはこれが一番キツいかもしれない。
瞑想前の休憩が短いから、足の痛みが癒えきっていない上に、午後のセッションは既に2ターンをこなしてる。
スタートから悶絶タイムへの推移が最も早いのである。
もうね、途中からは瞑想もクソもなくて、呼吸に気づくなんてもっての他。
足の激痛に悶絶しながら瞼の下の暗闇の中、時間もわからない中で、「とにかく早く終わってくれ!」と心の中で懇願し続けていた。
毎回思うのだが、永遠に鳴らないのではないか?と思える救いの鐘は、それでもやはり鳴った。
時刻は17時、ティータイムの到来。
救いのロング休憩。
さあ、いざ食堂へ!
まるでオアシスへ行くような面持ちで扉を開けると、そこにあったのはバナナとカットされた甘夏。
バナナは一人1本、甘夏は1切れだよ、と紙に書いてある。
そこで僕は気づいた。
今日から晩御飯が無い!!!
この衝撃を隣人に伝えるという行為は勿論「聖なる沈黙」によって許されていない。
バナナと甘夏は一瞬で胃袋に収まり、満腹には程遠いお腹へ熱々のインスタントコーヒーを流し込む。
そうか、昨日のきのこそばが最後の晩餐だったんだ・・・。
野生動物の糞を避けつつの庭の散歩を10分前に切り上げ、18時からは、その日の最後のガッツリ瞑想。
「これが最後の1時間!」そう思うだけで、辛いながらも断然救いの鐘の鳴る時間は早く感じた。
5分の休憩を終えて、19時からは講和という1時間半の聞くイベントが始まる。
カチャッと再生ボタンを押す音が聞こえて、「一日目が、終わりました・・・」とありがたい話が始まる。
途中、「食事は食べすぎるな」の戒めがあって、うっとなる。
いやあ、ついつい食べ過ぎちゃったよな・・・。
「目的を理解することが大事だ」って、それを語ってくれてるんだけど、全く理解できなかった(笑)
なんせ、目を瞑り続けなくていい、固定の姿勢で座り続けなくていいってだけで、とっても楽。
話の内容は例え話を多投したとってもわかりやすい部分も多かったんだけど、ほとんど忘れた!
でも、とってもいい話だった気がするよ。
講和が終わると、20時半からホンマに今日はこれで最後!の瞑想。
21時までだから、すごく気が楽。
これまでは短くても1時間だったから、この瞑想はすごく楽に感じた。
そして、21時からは質問が許された。
僕は先陣を切った。
先生の前に座り、尋ねる。
講和で言葉を思い浮かべるなって話があったけど、「今、右の鼻の穴を空気が通っているな」とかも思っちゃダメなんですか?
浮かんでしまうのはしょうがないけど、すぐに感覚に集中してください。
これ、すげえハードル高い指示。
僕らはついつい、言葉で考えてしまう。
言葉で現状を頭の中でつぶやいてしまう。
それすらもNGなのだ。
言葉にする必要はなく、空気の通る感覚をそのまま感覚として感じているだけ、ただそれだけで「ああ、今空気が鼻の穴を通ったな」とか思っちゃNGなのだ。
意味、わかるだろうか?
さて、長い一日が終わり、ベッドに横たわる。
ヘトヘトだ・・・。
そう思っていたのに、意外と寝付けない。
枕元に置いた腕時計の秒針の音が、妙に大きく感じながら、いつの間にか僕は意識を失った。