Day10 サーファーじゃなかった・・・

夜中に目が覚めてトイレへ。

トイレは別棟にある。

宿舎の玄関で最終日のタイムスケジュールが目に留まる。

 

8:00 瞑想

9:00 メッター

 

おおっ、朝一4:30からの瞑想、今日はないのかな!?

淡い期待は4:00の鐘で脆くも崩れ去った。

でもね、この日だったか、前日だったか、寝坊してる人、いた。

同部屋の二人、僕が部屋を出るときにはまだ寝ていて、朝一の瞑想は遅れてホールへ。

逆に言うと、その一日くらいで済んでるんだけど。

朝一の眠くて異様に長い2時間の瞑想が終わる。

まだ聖なる沈黙は解かれていないけど、心なしか皆そわそわしている。

9時からメッター。

これまでの修行と違い、生けとし生きるもの全ての幸福を願う祈り。

この手ほどき・・・というか録音された音声が流れてるだけなんだけど、これが終われば、聖なる沈黙は解かれて喋ってもOKなのだという。

9時半頃、その時はきた。

メッター音源が途切れると、中央に座る先生が立ち上がり、無言で去っていく。

 

終わった

 

呆然として動けない。

やった、喋れる!

そう歓喜すると思っていたのに、そうではなかった。

嬉しいはずなのに、でもあまりにも現実離れした生活を送ってきたがために、体が動かない。

少し間を置いて、僕は噛みしめるように立ち上がり、ゆっくりと外へ出た。

 

ホールの外に出たところで、できることはそう変わらない。

庭をひたすら歩く。

サーファーの兄ちゃんがいたので思い切って声をかける。

ここで、衝撃が走る。

声が震えている。

10日間も話していないので、声帯が衰えているのか、上手く喋ることができない。

それはサーファーの兄ちゃんも同じだった。

さらに衝撃だったのは、サーファーの兄ちゃんがサーファーではなかったこと。

ビーチバレーだった。

どっちでもええわ!!

マスクしてるからわからなかったけど、年齢も思ったより高くて、僕と同じくらいだった。

いやあ、サーファーの風貌でマスクしてると年齢わかんねえ。

てっきり20代中盤くらいの若いサーファーかと思ってた。

 

それから、昼食の時間が来るまで話し込んだ。

なぜ修行に来たのか?

断水はヤラセではないのか?

師匠とのやり取りで素直な受け答えがすごくよかったよって、なんとなく伝えたくて言ったり。

周りでも二人組がたくさんできていて、会話に花が咲いている。

僕たちは本当に久しぶりに「会話」というものを味わっていた。

 

11時からはいつも通り昼食。

今日はちょっと特別。

なんといっても、量が多い!ように見える。

カレーです、やっぱ、インドあたりで発祥ってところに倣ってなんじゃないかな。

初めて「これならたくさんよそっても大丈夫そう!」と思える量が大きな鍋に入っている。

さらに、デザートも豪華。

アップルパイのようなものもカレーの後に並ぶ。

修行、お疲れ様。

そんな気持ちが垣間見える瞬間だった。

しゃべってOKってのもでかくて、初めてのワイワイ感。

しゃべれるって、こんなに幸せなことなんだ。

・・・アカンアカン!心地よい感覚は渇望を生む!

 

食堂は様子が違っていて、ヴィパッサナー瞑想の紹介ポスターみたいなやつとか、たくさん壁に貼ってある。

賑やか!

こういうのがあると感覚の消費につながるから、修行中は置いていないんだな、きっと。

笑っちゃったのが、世界の瞑想合宿センター紹介のポスター。

日本だと、京都と千葉の二か所。

その他、各国にあるのね、拠点が。

ヨーロッパだとやっぱりその雰囲気がある建物だな、とか思いながら見ていると、草原が映ってる写真がポツリと浮いている。

地名を見ると、「アフリカ」とある。

おおっ、アフリカは大地に座ってやんのかよ!!??

 

そうやって展示物を見ていると、茶髪の兄ちゃんから話しかけられた。

「ストイックだなって思ってました」って言われて、目瞑ってるのにどうしてそう思うねん!って突っ込むと、師匠に質問に行く姿だとか、庭でずっと歩いてる姿を見てそう思ったんだって。

ああ、確かに、そんな感じだったの僕だけか。

 

その後の14:30までは、またまたフリータイム。

その間に財布を返却してもらったり、ダーナと呼ばれる寄付をしたり。

金額は迷ったけれど、自分の中ではかなり大きめの額を出したつもり。

古い生徒が受付をやってくれてて、手続きの紙とペンを渡してくれる。

書類にサインしようとして、愕然とする。

 

ペンを持つ手が震えて書けない。

 

古い生徒が「そうなんだよ、10日間も書かないとペン持つ筋力が衰えちゃうんだよ」って教えてくれる。

声もそうだけど、人間って使わない機能ビビるくらい速攻で退化しちゃうんだね。

きっと、脳も一緒なんだとうって思う。

 

あとね、寄付するのにこんな気持ちになったのは初めて。

なんていうか、「やってあげてる感」がないの。

例えば、震災で寄付した時は「施してあげてる」気持ちが少なからずあったと思う。

なんだろう、この寄付って誰が得するってわけでもないし、すごく不思議な感覚。

サーファーの兄ちゃんとも話したけど、この寄付だけで運用されてて、長年続いているのってすごいことだと思う。

 

もう一人のルームメイトとも話した。

普段は座禅に通ってるけど、こんなにハードな修行だと思わなかったって言ってた。

マジかよ・・・。

やっぱ、そんくらいハードなんだな、このカリキュラム。

そのルームメイト自身、2日目か3日目に辞めようと思って師匠に相談したら引き留められたんだって。

お前は応募倍率10倍を突破した一人なんだぞって。

定員50人くらいだから、その枠に500人くらいが殺到したってことか。

僕だって応募開始初日にアタックしたけど、キャンセル待ちだったもんな・・・。

ちなみに、男子のリタイアはゼロで女子は二人くらい早々に帰っちゃったんだって。

いや、この内容でそんなに少ない離脱率ってのが逆にすごい。

 

14:30から、18時からの瞑想はあったけど、その他はゴエンカ氏からのビデオメッセージ視聴だったり、オリエンテーションだったり、ゆるく過ごす最終日。

古い生徒からの「下界にいくと刺激が強すぎるから、今日たくさん喋っておいたほうがいいよ」って言葉が印象的だった。

あと、ゴエンカ氏のビデオで思ったんだけど、一緒に映ってた妻、めっちゃ嫌そうだったけど大丈夫!?

そんで、こんな修行で10日間で僕なんか腹引っ込んで明らかに痩せたけど、ゴエンカ氏だいぶぽっちゃりしてるんだけど、ゴエンカ氏修行してんの!?

 

だいぶ気が抜けてしまった僕たち。

前日までの講和で「真剣に修行できるのは9日目まで」って言ってた意味がわかった気がする。

講和の時間なんて、師匠が音源セットして流すんだけど、「九日目が、終わりました・・・」って始まっては止め、「九日目が、終わりました・・・」って始まっては止め、を数回繰り返して、やっと自分が持ってくる音声を間違えたことに気づいた師匠は、音声データを取り換えに去っていった。

師匠ですら気が抜けてしまっとる!

そんな、娑婆の世界へ向けての助走のような一日。