人はその想像力故に苦しむ

ずっと、常時「死にたい」って思ってるんだって。

つらいんだって。

仕事中、奥さんが話しかけてくる。

でも、その原因は、①息子が普通でない、②旦那(僕)は気が狂っている、って二つだから、なんかそれを僕に言われても、なんて反応したらいいのか正直分からない。

息子は元気に生きていて、最近は「学校が楽しい、学校に行きたい」と語っているらしい。

えっ、全然死ぬ必要ないじゃん・・・あっ、僕が狂い過ぎているのか・・・すみません。

今その状態でも、またいつか将来学校に行きたくない、だとか、イジメられる、とか、そういうのを心配してるんだって。

いやいや、その可能性、十分あるでしょ、というか、絶対うまくいかない時期はやってくるでしょう。

学校へ行きたくない、だとか、イジメられて落ちる、だとか、それでなくてもキツい事なんて今からいくらでもあるでしょう。

なんか、そんな感じをことを言い返したような気がする。

奥さんからすれば、そんな事を言って欲しいわけでもなく。

でも、僕からしたら「そんなこと言われても・・・」で、そっから先が何もない。

 

僕も数年前「死にたい」って時期があった。

仕事行く時に奥さんに背中さすってもらった事あった。

まあ、だから僕がさする番なのかな。

僕の場合は原因が仕事のとある事情だったから、仕事やめてその根本原因から離れたけど。

奥さんの場合、原因から離れようともしないから、全快するのが難しい。

いろんな人に話聞いたり、いろんな本読んで、誰かから「これが正しい答えだよ」って言ってもらいたくて、そんな風に見える。

そんな、義務教育で与えられるような「正解」は存在しない。

世間とは、人の名誉や評判を評価する想像上の空間なんだって。

コテンラジオ でヨウさんが紹介してくれてた。

その「世間」を気にして人は苦しむ。

世間なんて、世間の正解なんて、時代によって変わるし、今も変わり続けているけれど、それでもやっぱり、僕だってその世間に影響され、世間の目を気にしながら生きている。

世間なんて、僕のこと、僕の家族のこと、そんな事なんてどうでもいいって思ってるのにね。

それが、言葉でわかっていても、その言葉ベースで自分の感情をコントロールすることはできない。

できないけれど、コントロールできる側へ寄せていくテクニックとして、ヴィパッサナー瞑想のようなものがあるんだと思う。

人はその想像力故に苦しむのである。