Day6 無常だけが常

さあ、6日目。

今日は少し感触が違う。

なんだろう、慣れてきた感がある。

まず、起床した時の背中の痛さがない。

足の痛みも和らいでいる。

4日目に座り方を変えた効果が出てきている。

とはいえ、やはり早朝4時半からの瞑想は眠い。

朦朧としながらも、ふと気づく。

それはお尻の位置の感覚を捉えている時だった。

 

あれ?お尻が動いている?

 

ドクン、ドクン、波打つように左の尻、少し遅れて右の尻、この部分の筋肉が収縮・弛緩を繰り返している。

なんだこれ?僕は尻を動かそうなんて思っていないぞ?

少し考え、とある漫画のワンシーンと繋がる。

井上雄彦さんの漫画、リアル。

登場人物である高橋が下半身不随になり、お父さんが夜中に高橋の寝ている体勢を変えるシーンがある。

床ずれ、専門用語で褥瘡というらしい。

下半身不随だと、自分で動けない。

だから、床面の体が圧迫されている面が血が流れにくくなってしまい、最悪は壊死してしまう。

わかった、それだ!

この、延々と圧迫され続けているお尻が壊死しないように、体が勝手に動いてくれているんだ!

ストン、と腹に落ちた。

こういう気づきが各所にあって、ただ、教えてくれるわけではない。

でも、必然的に本人が気づくようになっている。

 

朝の瞑想が終わって、凍えるシャワーを浴びて、洗濯して、朝食を摂って、散歩して。

この流れもすごくスムーズにこなせるようになってきた。

細い轍にある野生動物のうんこがだんだん土へと近づいている。

おっと、ここにはホカホカのこきたてうんこが落ちている。

朝一の散歩道はこの日の状態確認から始まる。

2周目からは考え事に集中。

この合宿ではメモを取ることすら許されていない。

忘れないように、合宿が終わった後に文章に起こせるように、繰り返し頭に刻み込もうとする。

昨日は講和がよかった、感覚に対して反応してしまうから渇望だとか嫌悪が生まれるって話だった・・・

感覚とは何かと言うと、視覚だったり、聴覚だったり、・・・

視覚?そうだ、視覚といえば、ようは目に映るこの風景もそうだ。

ピン、と一本の線がつながる。

最初に散歩した時から感じた、この庭の妙な違和感。

小さな木に花が咲いているのに、ほんの少しだけ。

あえて切ってあって、みすぼらしい姿。

もっときれいにできるはずなのにしていない。

その理由が今、わかった。

キレイな花畑は見たときに「キレイだ」と反応していまう。

すると、また見たいという渇望が生まれる。

敢えて、敢えてこの質素な状態を保っているんだ。

 

その後も、今日からの課題「リバース」を順調?にこなしていく。

昨日までは「頭のてっぺんからつま先まで」を繰り返していたんだけど、今日はつま先まで行ったら、逆に「つま先から頭のてっぺんまで」の体の感覚を隅々まで見ていく。

いや、目は瞑っているんだけど・・・。

この「リバース」って、方向をかえるだけじゃんって思うんだけど、やってみると意外と難しい。

当時はなんで?って思ってた。

でも、今考えると当然かもしれない。

野球で言うとさ、バットスイングを逆向きにやってって言われると、難しいでしょ?

前向きに走るのは簡単だけど、後ろ向きに走るのは難しい。

 

夕方のティータイムがくるころには、このリバースにも慣れてきた。

18時からのグループ瞑想。

ここで、いつもと違う自信があった。

この1時間、いける気がする。

えっ!?今まではいける気がしなかったの?と思うかもしれないが、その通り。

マジかよ、また瞑想かよ、長えよ、無理だよ、足痛えよ・・・

そんなスタートだったのが、ここで初めて「あれっ?たぶん次の1時間はいけるんじゃないかな?」と思えた。

ティータイムと散歩で少し回復した状態で臨む1時間。

何度も繰り返すリバース。

長いけれど、朝の2時間に比べたらかなりマシ。

ゴォォォーン、ゴォォォーン、・・・

鐘がなって、静かに目を開ける。

まだいけた。

僕は6日目にして、初めて余力を残してフィニッシュした。

 

講和は5日目には及ばない。

でも今日も良かった。

なんの科学技術も持たずに、自らの経験を通してこの世の仕組みを理解したゴーダマシッダルタ。

学校で習う授業からこの世を理解した気になっている現代人。

頭で受け入れるだけではなく、自分自身が修行して、経験して、そうして初めて人間は変われる。