Day7 明日から僕たちに休憩はない

収容生活も早7日目。

慣れてきた半面、今更なんだけど、ホームシック気味。

毎日誰とも喋れない、運動もできない、食事もお腹一杯食べれない。

夕方頃からは空腹でお腹がグーグー鳴りっぱなし。

庭で散歩中、轍のウンコを避けつつ、気分が重い。

ああ、帰りたい。

それが素直な気持ちだった。

 

今日の課題は昨夜発表された「両腕、両足同時に観察せよ」というもの。

昨日までは一か所に集中して、その一か所を順番に動かして体の隅々まで観察し続ける、という修行だった。

さあ、それが2か所となると・・・。

はい、できません。

両方に意識を保ったまま移動しようとするんだけど、片方が切れちゃう。

そこをなんとか!という気持ちで粘る。

結局は解像度を下げるしかないというか、ちょっと引いて見るイメージでトライ。

少しずつ、少しずつだけど、途切れず、でもうっすら両方の感覚を維持できるようになっていった。

 

ホームシックになった理由として、たぶん、修行自体には少し慣れてきて、ホームシックになる「余裕」が生まれたんじゃなかろうか。

逆に言うと昨日まではそんな余裕すらなく、ただただ足の痛みだったり、修行自体の辛さだったり、空腹だったり、いろんな困難に対して戦うことで精いっぱいだったんだと思う。

 

さて、この日ビビったのは、講和。

10日間の中で、最もスパルタな内容だったと思う。

夜7時から、いつものように姿勢を崩して足が痛まないようにしながら、目を瞑ったり、開けたりしながら講和を聞いていた。

いつもそこそこ厳しい話があったりするんだけど、今日はレベルが違った。

修行中、1日2~3時間睡眠になる生徒もいる、良いことです。

危なかった。

僕は思わず目を開け、「えっ!?」って言いそうになった。

録音された音声は、続けざまにこう言った。

全く眠らなくなる生徒もいます、とても良いことです。

「ええええっ!!!??」

なんとか喉まで出かかった言葉を飲み込む。

いやね、僕のお父さんやらじいちゃん世代までは、それこそ「月月火水木金金」だったり、「寝ずに働いたやつが偉い」みたいな思想があったと思うの。

それが、今は「睡眠は大事」って風潮になりきっていないけど、方向性として、そうなってきてると思うの。

それを、なんと!?

全く寝ないことを「すごく良いこと」って言ったけど、さすがに気ぃ狂ってんじゃないの!?

聞いた瞬間はこう思った。

目を見開いて、だれかに突っ込みたかったけど、当然だけどそんな雰囲気ではない。

僕はキョロキョロしながら誰か同じ意見の人を探したけれど、無駄だった。

この内容について、この時は理解できなかった。

できなかったからこそ、次の日から僕は考えた。

この言葉がどういう意味なのかを。

ビビったけれど、間違っているはずがないって気持ちもあった。

事実、僕の睡眠時間も減っていたから。

いや、そりゃあ朝4時半に起きてたら睡眠時間は減ってるでしょって話なんだけど、そうじゃなくて。

夜、修行が終わってから床について、ああ、もう疲れたから寝よって思うんだけど、意外と入眠できないの。

夜9時にカリキュラムが終わって、すぐに布団に入って寝ようとするんだけど、日付が変わるまで意識が残っていたりする。

だから、「そんなわけないやろ!」って断言ができないの。

さらにスパルタな講和は続く。

なんと、「明日から休憩時間は無い」のだという。

「えーーーーーっ!!?!?」

だれも驚きの叫び声を上げない。

いや、みんな心の中では叫んでいたに違いない。

聖なる沈黙も一週間継続したことで、みんな喋り方を忘れているのかもしれない。

よくよく考えると、修行の成果、バリバリに発揮されている。

その、「休憩時間がない」ってのはどういう意味かっていうと、とにかくおまえら明日からすべての行動で自分の感覚に気づき続けろ!ってこと。

例えば、食事をしている時であれば、噛んでいる感触というか、感覚に気づき続けていなければならない。

歩いている時であれば、足の感覚、手の感覚、いろんな感覚に気づいていなければいけない。

つまり、ずーっと感覚に気づき続けていろ、ということ。

いや、無理っしょ!

そんな生活嫌だーーーー!!!

正直そう思った。

というか、そんなこと可能なのだろうか?

感覚を意識しながら食べたことなんて、ない。

超ハードル高そうな、その指令。

明日から、やべえ・・・。

そんな暗澹たる思いで、僕は床に就いた。