データの呪縛

今までと同じ時間配分でやってても、同じようにしかならない。

先輩と同じことをやっていても、先輩と同じようにしかならない。

いや、先輩みたいになりたい!っていうのであればそれでいいんだろうけど。

でも、全く同じには絶対にならない。

特性が違うから。

だから、部分的にはパクッてもいいけど、自分に合う、合わないは取捨選択してしかり。

というわけで、朝の始業時間前、僕は通常業務を無視して、違うことをやってる。

一つはPythonってプログラミング言語の習得。

まあ、これは役にたつんじゃないかなと。

ただ、成果としてあげられるようになるまでは時間かかりそう。

もう一つ、自分のパソコンの中のデータのコンマリ。

コンマリ、でわかるかな?

ようは要らないデータを消すって作業。

仕事に忙殺される中で溜まった大量のデータ。

それが、良くないなって思って。

簡単に大量のデータ保存できる代償として、「とりあえずデータ保存しとこ!」って過去の自分の残骸。

こいつら、ただあるだけじゃなくて、たぶん、仕事のじゃましてる。

気づいていないだけで、たぶんそう。

残すデータ、消すデータ。

判断が難しいデータ。

データによって便利になったようで、逆にデータに時間をとられてる僕たち。

本当は生きていくのに必要なデータなんて、ほとんどないはずなのに、あるようにか感じてしまう。

データを生み出していた過去の自分。

それをなかったことにしたくないのだ。

その時の自分に価値があったと信じたいのだ。

本当は関係ないのに。

もうデータは過去のもの。

僕はその呪縛からまだ解き放たれずにいる。