明日は現場へ前乗り込み。
しかもたまたま実家近く。
日本は広いようで、狭くもある。
ええと、じゃあ一日早く行っちゃえ!って余裕があるかというと、仕事が・・・。
今日頑張って終わらせて、明日は仕事なしにしたい!
家の掃除して、おっしゃやるぞって。
現実は気合入んなくて、ちょっと休憩って横になったら寝ちゃって・・・。
人生とは、そのほとんどが思い通りにいかないものなんだと。
僕はそれをまだ受け入れられずにいる。
昼に実家の母へ電話。
移動方法を聞かれ、「経費だし、電車で行くよ」と伝える。
電話を切り、ふと思う。
プライベートで実家へ行くとき、今まで電車を使ったことあったっけ?
あったとしても、稀なはず。
高いから。
一人で行くときはバスが多かった。
安いから。
昔、高速バスで大事故があったけれど。
それでも安さに目がくらむ。
確率は低いから。
そう自分に言い聞かせてバスに乗っていた。
でも、ほんとはすごく安いからだ。
家族で行くときは車。
これは荷物が積めて便利だからか。
なんだろう、「経費」ってなった瞬間、それはいつも自分で支払う「お金」とは別物。
全く痛みを伴わない、支払い。
もちろん、仕事でミスって、大きな追加金額が出るとき、それは痛みを伴う。
でも、そもそも予定されてたり、自分のせいじゃない出費だと、経費の支払いは痛みがない。
とても不思議な現象だ。
ただ、手元を通過していくだけ、流れていくだけの数字。
そこに重みはない、全くない。
自分の財布から建て替えて、後日システムに打ち込んだら僕の銀行口座の数字が増えている。
そして、この数字たちが目まぐるしく一年間流れまくって、会社の業績、その会社のビル、会社のロゴ、従業員たちの社員証が維持される。
「会社は数字です」と言った、昔の部長を思い出す。
さらに偉くなったその人は、今は「現場が大事です」と話す。
数字を作るのが現場だから、そういうことだろうか?
「経費なんだよ・・・全部、経費なんだよ」
村上春樹さんの小説「ダンスダンスダンス」で口癖のように、悲しそうに吐く主人公の言葉。
経費を自分のお金と同じように捉えていては、身が持たない。
たぶん、ストレスで死んでしまう。
かといって、会社のお金だからどうでもいいやってなるのも違う、きっと違う。
流れる数字、そこに自分の責任を添える。
添えることで、流れに抵抗ができる。
でも、流れは止めない。
決して止めてはならない。
止めないけれど、関わる。
早めてもならない。
出来るだけ自然な流れのままで。
でも、その流れに触れて、少しだけ方向性を持たせる。
そんな経費との付き合い方がいいのではないかと思います。