自分のモノサシ

他人の彼女の容姿をこきおろす男子。

(そんで、自分には彼女いなかったり、自分の彼女はさほど美人でなかったり)

 

自分に彼女ができないのは、自らの容姿のせいだと言う男子。

(容姿イマイチ、背も高くないけどなぜか彼女が途切れない、しかも美女という輩は、残念ながらこの日本に存在する)

 

彼女ができた途端、自信に満ち溢れる非モテ男子。

(これは自分も含め、誠にみっともないのですが、確実に上から目線になります)

 

世に蔓延する経験則に対し、明確に言語化して説明できないまま生きてきた。

要するにアタマが足りないのである。

そんな、自分の引き出しにしまってあったモヤモヤが、突如晴れた。

上野千鶴子さんの本「女ぎらい」の前半。

まだ途中なんだけど、どんどん霧が晴れていく感覚です。

陣内さん藤原紀香さんの離婚原因についての考察もある。

これが当たらずとも遠からずな気がするの。

いや、本人たちにヒアリングしたわけじゃないから、実際のところはわかんない。

でも、あ〜そうなりそー。なるほど!って思った。

 

本を読んで、何が楽しいか?

こうやって、モヤモヤが晴れていくのが楽しい。

極端な話、本を一冊読み終えるごとに、見える景色が違ってくる(もちろん、いい本だったら限定の話)。

自分のモノサシが長くなったり、モノサシが増えたりする感覚。

もっと、わかりたい。

ちゃんと、わかりたい。

常識をトレースしただけ、洗脳された部分、そんな自分のアタマを一回まっさらにしたい。

そっから、自分のアタマで考えたい。

 

先生、知る事は動揺を鎮めるね!

若林さん、学ぶことの意味は、ほとんどそれです。

 

この文は、若林正恭さんのキューバ旅行記から。

すごく、わかる気がするの。

要するに、感情的にならずに済むってことだと思うの。

逆に、「知らない人」にはロジックがない。

だから感情的にならざるを得ない。

結果として怒ってしまう。

怒られた方は、「なんで怒ってるの?」なんだけど、それがわかんない。

怒る理由、それは自分のモノサシの外側のことだから。

そういう言い方ができること、結構ある気がするの。

 

何か起こっても、何か言われても。

自分のモノサシで判断して、感情的にならずに行動する。

そうなれたらいいなと。