込めた愛の量

本が、好きだ。

メンタリストだいごさんも、周知の通り本好き。

その心は、「知識の最大化」。

だから、読書術の本を読んでも、そういう読み方が書いてある。

とっても面白い、考え方のヒント、気づきが満載。

さて、その本を読んで、僕も全く同じように読むかというと、不思議とそうならない。

 

なんでだろう?

僕も本を読むのは「知識の最大化」と近い感じがするんだけど・・・。

ずっと、引っ掛かっていた。

ある日、「あっ」ってなって、ストン、と腑に落ちた。

僕が本を読むのはそれじゃない、その一つは「本当のことが知りたい」なのかもしれない。

だから、そこにスピード感があまりない。

というか、スピード出ない。

不器用だから。

今まで抱えていたモヤモヤが、一気に晴れていく感覚。

この本に出会えてよかった、そんな瞬間。

 

でも、それだけでもない。

小説やエッセイも好きだ。

自分の価値観が揺さぶられるとき。

作者の描写に惚れ惚れするとき。

「自分の内面が揺さぶられる」言葉にすれば、こういうことだろうか?

 

そんで、読んでみて「これは殿堂入り」という書籍はメモしてる。

ここで、不思議な事態。

ダイゴさんの本、ベストに入らない。

本自体はどれもすごく面白い、タメになるのに。

 

それは、たぶん、一冊に込める愛、魂が薄いからだと思う。

それがいい悪いって話じゃなくて、本の作り方からして、どうしてもそうなっちゃう。

だいごさんは、発表された論文、文献から自分で噛み砕いて、それをわかりやすく、読みやすく凡人たちへ紹介してくれるスタイル。

基本、自分で根詰めて研究していないから、込めた愛の量がどうしても薄くなっちゃう。

対して、とある8年かけて完成させた本とか、ものすごく濃くて、読んでる途中で殿堂入り確定しちゃうやつもある。

 

たぶん、そういうこと。