炉に入ると、ばあちゃんはあっという間に骨だけになった。
昔はもっと時間がかかったんだって。
何事もその分野の人たちが改善を重ね、変化しているようだ。
世代が違う。
先だったじいちゃんは中学を出て大工として若い頃から働き通したが、ばあちゃんも小学校を出て、美容院で住み込みで働き、じいちゃんと結婚してからは家事・子育て・美容院で接客と、戦ってきた。
ふと、小5の姪っ子を見る。
この子があと2年で住み込みで修行していた時代があったんだね。
母も戦ってきた。
そして僕は何不自由なく育ち、今を生きているわけだ。
そういうのって、こうやって家系図が一堂に会さないと実感できない。
いとこの女の子、内孫。
この子が「ばあちゃんはもっと早くじいちゃんから解放してあげないといけなかったんだ!」って、熱っぽく語っていた。
実の娘である母も負けてはいない。
僕に通算600回以上は話してきたじいちゃんへの恨みをぶちまける。
あの・・・ばあちゃんの葬式なんやけど・・・
皆、ばあちゃんの方がよくやってくれた感があるはずなのに、なんでだろう、じいちゃんが死んだ時の方が感極まっていた。
そして、ばあちゃんの葬式でばあちゃんの話が語られることは、なぜかほとんどなく、じいちゃんへの恨み節がとめどなく溢れてきているのであった。
人間って、不思議だ。