厄介な人。
厄介だから、みんな回避しようとする。
それを感じた厄介な人はどうするかというと、弱い立場の人へ当たり散らす。
なんでその「当たり散らす」が成り立って、継続してしまうかというと、その人の後ろに「〇〇株式会社」という看板があるから。
だから我慢するしかない。
その、当たり散らされている人から愚痴を聞く機会があって、当たり散らされている人同士で酒を呑むと、1時間くらいは「こんなことを言われてさ」って話題で盛り上がる?のだという。
いや、ここで感慨深いのが、そうすると、「厄介な人」というのも、見方によっては、ある意味世の中の役に立っているのではないか?ということ。
毒にも薬にもならない人だったら、話のネタにもならないわけじゃないですか?
共通の敵になることによって、交友関係が深まっているかもしれないし。
生きてるだけでいい、どんな生き方をしてもいい、大きな視点で見れば、それにいい悪いはない。
そんな風に考えてもいいのかなと思いました。
でも、当たり散らす人にならないようにしなきゃね。
外で気を使い尽くしてる分、家ではそうなっちゃってるから。