大谷さんのインタビューを見ていて思った。
ああ、この人は明確な判断基準を持っている。
野球が上手くなりたい
たぶん、これがぶっちぎりの第一位。
きっと、判断に迷ったらこれを自分に問うているのではないか。
どっちの選択が野球が上手くなれるだろうか?
その背景にあるのは、おそらく、野球への愛。
要は、前向きな野球への愛で判断してるってこと。
全然ジャンルは違うけど、僕の通っている美容師さん。
注文住宅として建てたマニアックな一戸建ては、美容室と住居を兼ねていて、カメレオン専用の部屋がある。
カメレオンと妻、どっちが大事?
この質問に唸る時点で、彼にとってはもはやカメレオンを妻よりも大事な存在なのであろう。
カメレオンを軸に生きる彼も、判断に迷ったら、きっと自分に問うているのだろう。
それは、どっちがカメレオンのためになるのか?
彼は、カメレオンへの愛でもって、判断しているのである。
ええと、じゃあ、僕は何で判断して生きているのか?
例えば、太ってる自分は嫌だから痩せる。
愛ではなく、嫌悪?
こうはなりたくない、だからこうする。
うげっ、なんか後ろ向きでイカン感じがするな。
そんな話をしたら、奥さんから「そんなの言い方次第だよ」ってツッコまれた。
スタイルのいい自分が好きだから、痩せる。
なるほど、確かにそうかもしれない。
僕の中にも、きっと愛はある。
愛を言語化していこう。