多くの仕事はケチろうとしたことから生まれている

祝日の事務所は少し閑散としている。

有休をとったり、テレワークにしている人が多いのだろう。

いつもより心なしか静かな環境で仕事をしながら、ふと思う。

 

多くの仕事はケチろうとしたことから生まれているのではないか?

 

不具合対応やら、そもそもの検討やら、最初にケチらずにやっておけば、やらずに済んだものばかりだ。

 

どこかを落とせば、他を上げなければならない。

 

それを散々痛感してきたはずなのに、資本主義という構造が「ケチらない」ということを許さない。

いつまでもコストダウンと言い続ける上層部。

単価は上がり続ける発注先。

板挟みの実働部隊は疲弊する。

どうみても限界に来ている。

かといって、代替する○○主義というものは存在しない。

だから、皆一様にケチろうとする。

結果、また仕事は増えていく。

絶望。

現代において、あまりにも自分事としてこの状況を捉えていては、身も心も持たない。

いつも仕事が溜まりまくっていて、遅れまくっているのに飄々としている先輩を見て、深刻にならないことの大切さを学ぶ。

所詮、あがこうがこの状況は変わらない。

僕らにできることはその流れの一部になるか、もしくは離脱するか。