時間があったら、こんなこともあんなこともやりたい。
いざ、稀に時間ができると、ビビるほど体は動作しない。
あれ、あんなにやりたかったのに、どうして?
それをやる脳の回路が鍛錬されていないのだ。
そして、やりたいことというのは、ケツを叩く人がいない。
仕事のように「やらないといけない」って思いこんでもいない。
結果、脱力。
つまり、やりたいことをやろうと思ったら、日常に組み込む必要があるわけだ。
毎日じゃなくてもいい、週1でもいい。
やりたくもない週1で20 kmランというなぞの習慣を僕は数年続けている。
しかも走るのは平日だ。
という考察を書いたが、僕はもう40目前のオッサンである。
こんな大したことないことに気づき、認めるまで、30年以上かかったのである。
それほどまでに、自分で自分の才能の無さを認めるのは、実は難しいことなのだ。
おれ、ホンマはすごいんやぞ
どんな気取っていない人でも、心底のところでは、常にこの炎が燻っている。