アジサイ祭り、というのが開催中なんだと。
ライトアップされてる夜の部を見に行きたいという奥さん。
なんでわざわざ暗くて見えにくい夜に行きたいの?
でも、なんか理由があるはず。
目を瞑り、考える。
アジサイが映える、ということか?
太陽がギンギンに照っていれば、全部見える。
情報過多。
見えすぎると逆に気持ちよくないのではないか?
漆黒の闇の中、見たいものだけが照らされ浮き立っている。
その情報の少なさが心地いいのかもしれない。
最近すごく思うんだ。
いかに少なくするか。
というか、できてることはみんな少なくって。
それを無理くり「やった感」を出してるだけで。
できてないことを認めてないか、気づいてないだけなんじゃないかなって。
常に、一定の余白を脳みその中に確保しながら生きる。
それって、豊かなんじゃないかなと思います。