現金なもの

夜明け前の土曜日。

始発めがけて、静まり返った暗闇を走る。

用事があれば、休日でもなんとか起きれるの。

いつもの道の途中、地面でキラッと光る何か。

いや、「何か」というより「お金」。

まさに現金なもので、外灯を反射するお金って、キッチリ反応しちゃう。

チラ見なのに、ものすごい確信がある。

時間、まだ余裕あるので、バック。

かがみこんで、よく見ると、百円玉。

なんか、ちょっと自分が嫌になっちゃうね。

 

法律や倫理を杓子定規で解釈すれば、それがいくらであろうと交番へGO。

ところが、人間とはバランス感覚の生き物。

これまで生きてきた経験から、次のことを理解している。

・交番のお巡りさんは、百円玉ごとに調書をとっていては、やってられない。

・落とした人は、99%以上の確率で気が付いていないか、まあ百円ならいいか・・・と思っている。

よし、これは気持ちよくいただこう。

お金は天下の回りもの。

 

2秒くらいで結論を出し、ポケットへ硬貨を入れる。

駅へと再び歩き出し、ふと考える。

いくらまでだったら、そのままもらっちゃうだろう?

500円・・・もらう!

千円・・・う〜ん、もらっちゃうかな?それかそっとしとくか。まず、滅多に落ちていなだろうけど。

一万円・・・届けるか、ほっとくかな。手続き、時間かかる。時間もったいない。

10万円・・・さすがに届けるかな。時間に余裕があればだけど。

 

こうやって考えてみると、やっぱり桁が上がるごとに扱いが変わってるね。

当たり前のことかもしれないけど。

理想はさ、金額に関係なく、必要かどうか?で判断できること。

たぶん、完全にはできてなくて、細かい出費が積もり積もって、でっかい金額になってるよな。