お風呂のお湯とお金の話

言うまでもなく、この文明社会に馴染んで生きていくには、お金が必要である。

そして、人は「貯金」をけっこう気にする。

「貯金」って気にする必要ある?という話。

 

僕自身、仕事を辞め失業保険ももらわず、貯金を切り崩して生活した時期がある。

貯金の余裕は、あった。

最初の3ヶ月くらいは、あまり気にしなかった。

でもね、段々楽しくなくなってくるの。

お金を使うことに、罪悪感が付き纏う。

何円使ってしまった。

その金額の大小に関わらず、「使ってしまった」という感覚だけが残る。

そうやって買ったモノ。

言わずもがな、使う時までどこか後ろめたい気持ちになってしまう。

「未来への不安」が、お金を使うことをネガティブな行為に変えてしまう。

 

逆に、貯金の金額が当時より少ない今。

モノを買うのは、純粋に楽しい。

それは、月々の収支がプラスだから。

プラスの範囲内でお金を使っているから。

この違い、大きい。

 

とある女の子が言った。

子供は欲しいけど、貯金できてからじゃないと・・・。

いくら貯金できたら子供できてもいいの?

僕の質問に、彼女は答えられなかった。

 

お風呂の栓が外れていたとする(支出)。

そのお風呂にお湯を張り続けている(収入)。

お風呂から出ていくお湯より、お風呂に入れているお湯の方が多ければ、それでいい。

 

尊敬する、出口治明さんの考え方。

ガッテン。

そのまんま、自分の気持ちとして、生きている。