3年ぶりだという花火大会。
夕方に自転車で出かけると、開催場所の海の方角に向けて、軒並み道路がパンパン。
駅にも人がビッシリ。
自宅の最寄りコンビニにはトイレに行列ができている。
まるで違う街みたいだ。
自宅は海が近い。
開始時間に合わせて外へ出ると、海岸線に人だかり。
そこに加わって、ちょこんと座る。
重力に逆らって上がっては散っていく花火。
キレイだ。
小二の息子が僕に尋ねる。
はなびはなんのためにやっているのか?
その他、誰がやってくれと言ってるのか?など、様々な花火に関する質問に答えることができず、36年も生きてきて、僕は花火について何も知らないのだと痛感する。
ふと隣を見れば奥さんは携帯でラインをしている。
花火見ないの?と聞くと、連絡が来たから返信しているのだという。
そのうちボソッと、実家でおばあちゃんを見て「あと50年も生きなきゃいけないのか・・・」と暗い気持ちになったやらなんやら言われ、なんともいえない嫌な気分への方向へ引っ張られそうになる。
さて、花火は確かにキレイだった。
でもその一方で、お前、本当に心から見たいか?と問われればNoである。
正確に言えば、他にもっとしたいことがある。
家族の時間を優先した、ということなんだろうけど。
花火って、旅行ガイドに出てくる観光スポットに似てる。
「これを見て感動するのが正解だよ」
笑い声を追加したテレビ番組にも似てる。
「ここで笑うのが正解だよ」
花火の音の大きさに、興味ない人にとってはすげえ騒音でしかないんじゃないかって。
全ての人を幸福にする方法なんて存在しないじゃないかって。
何かをするってことは、誰かを幸福にすることは、同時に誰かを不幸にすることでもあると。
そんな当たり前のことを、キレイな火花を見ながら思った夜。