ポケモンにハマっている坊ちゃん。
先日など、とあるのろまなポケモンになりきりながら、「うごきがおそい!」とイラついていたという。
イラついても「のろま」という設定条件を変えないところに、ポケモン愛を感じる。
今日など、電車に乗って出かけるというのに、ブラッキーとやらになりきって、手足にブラッキー模様を描いた紙をセロテープで貼り付けている。
できれば取り外して欲しいが、かといって、それが絶対ダメというほどのものとも思えず、黙認する。
まあ、基準としては、不快感を与えない程度だと思うので、よしとしよう。
長いこと電車に揺られ、着いた目的地。
その門を潜る前に彼は「はずそう」と言って、自らブラッキーとして生きることにピリオドを打った。
外して普通の姿になってくれるに越したことはないはずなのに、いざ本人がそういう行動に出ると、なぜか少し寂しい気持ちになるのは、なぜだろう?
大人が「恥ずかしいからやめて欲しい」って思っちゃうこと、子供はやる。
ついつい、やめなさい!って叱っちゃう。
でもきっと、そう言われると余計やめたくなくなるのだろう。
あえて許容することで、自分だけ恥ずかしくなって、やめるのかも。
他人のフリ、他人のフリ。