人が動かなかったのは「自分が動かせなかった」ということ

聞いてない、という。

それはマズいのでは?

だって、来月やるって言ってる件なのに、間に合わないんじゃないの?

 

お節介をやく。

にわかに信じがたい話だけど、これだけ時期が迫っていて連携が取れていないのはおかしいでしょ?

そう思って。

 

一人でやり切れる仕事なんて、ほぼない。

必ず他人の力を借りる。

このタイミングで、これをする。

そこに向かって人を動かしていく。

人を動かすこと。

仕事なんて、ほとんどがそれかもしれない。

 

代打で行ってた現場での話。

改造工事が予定されているはずなんだけど・・・。

常駐してるトップも「えっ、何の話?」と返ってくる。

社内の他部署の人、ガッツリ連携しなきゃいけない人に聞いても「聞いてないよ」との返事。

「言わなきゃいけない人」と「聞いてないよという人」、この二人を、なぜか僕が危機感を持って引き合わせる。

定時後、夜もそこそこ更けてしまった頃合いに打ち合わせっぽくなったのを見て、ホッとする。

 

翌日、「言わなきゃいけない人」と現場出張。

その話題を振ると、実は3ヶ月前くらいに現場で内容を説明済なのだという。

「言ったんだけどな・・・」ボソッとこぼす。

そういえば、常駐してる人が知らなかったよって伝えた時も、そんなはずないって言われたっけ。

 

要するに「伝わってない」のだ。

もっと言うと、「人を動かせていない」ということ。

どういう言い方をしたのか、わからない。

言った後のフォローをしたのかも知らない。

僕はハッとしたんだ。

「言ったかどうか」が目的になってはいけない。

「自分は言った」という事実で自分を正当化してしまってはいけない。

これでは目的が「自分が発射したかどうか」の独りよがり。

違う。

目的はあくまで「相手に伝えること」であり、「人を動かすこと」までもっていくこと。

一度言っただけでは忘れてしまうかもしれない。

あまりにも言うタイミングが手前すぎると、なおさらだ。

会議に参加していたとしても、言ったことを覚えていないかもしれない。

これだけ大量の情報を処理し続けていれば、当然だ。

 

思い通りに人が動かなかった時。

ついつい「言ったのに」とか「何でやってくれないんだよ」とか、思っちゃう。

認めるようにしたいね。

人が動かなかったのは「自分が動かせなかった」のだと。