まだ物心つかない頃からスパルタ教育を受けて大成したスポーツ選手やピアニスト。
かたや、ただ貧しいだけで両親から何の指導も受けずにスターとなったお笑い芸人。
さて、どっちがいいのかね?
僕も野球やってたから「よし、ワシの息子も!」と息巻いて息子に当たり、控え目に言って成功していなかった例も間近で見てきた。
ただ貧しく、才能もなく、借金を抱えて首を吊った同級生もいた。
そう、「どっちがいいか?」ではないのだ。
「どっちにするか」であり、「どうするか」なのである。
あるいは決めずに目を背けるか。
楽しむには、訓練がいる。
野球やってみたらわかると思うけど、一つ一つのプレーが成立するまでに、なかなかの訓練が必要だ。
ある程度できるようになって初めて「楽しい」という感覚が生まれる。
その意味では卓球の愛ちゃんみたいに泣きながらでもスパルタンで通すのも、否定できない。
結局のところ、どれだけの時間をそこに費やせたか?という要素は重要な下半身であり、避けては通れない。
物心つくまで辛抱強く待っていたら、スパルタンなライバルは既に遥か先を走っているのである。
但し、絶対にやってはいけないことがある。
本人が明らかに「違うことをやりたい」と主張しているのにそれを認めないことだ。
スパルタンに悪気はない。
悪気のない善意ほど怖いものはない。
物心つかない頃から親が強制するのは、この危険を孕んでいると思うのである。
親は二人。
片方だけの意向では決められない。
僕の意見はというと。
本人が起点になるまでは、待つ。
これに尽きるかなと。