まるで姑夫

週末になると別居中の妻子がやってくる。

そんな生活が1ヶ月くらい続いている。

キレイに掃除した部屋が、瞬く間に散らかっていく。

内心、やめてくれー!と叫ぶ。

 

さて、ここで、子供は許せる。

そもそも、子供はそういうもの。

散らかすのが仕事。

クレヨンしんちゃんで見てた、あの風景がフラッシュバック。

仕事じゃあ、しゃあないよな。

これ、男の考え方。

 

問題は妻。

これがやたら許せない。

まるで姑のように妻の散らかしを僕がせっせと片付ける。

妻も僕の気持ちをわかってるから、できるだけすぐに片付けようとする。

例えば、食後の皿洗い。

妻は食後に少しダランとしたい。

対して、僕。

食事用意した後に包丁が切ったまま放置されているのが気になってしょうがない。

錆びちゃうじゃないか、と。

妻子が帰っていくと、必ずやり残し、出しっ放しがある。

カッとなる。

 

なんという心の狭さだろうか。

包丁が錆びたら買い直せばいいじゃないか。

やり残しや片付けは僕がやればいいじゃないか。

 

おおらかでいたいのに、できない。

どうすればそうなれるのか、わからない。

 

こんな時も、なんやかんやでタイムリーに本との出会い。

槙田さんの「一億総ツッコミ時代」。

前から気になってたけど、図書館になくて。

引っ越し先の近所のブックオフに置いてあって、ああこれは出会いだなと妙に納得して手に取った。

 

人間なんて、そう変わらないもので。

特に性別が同じならば、なおさら。

槙田さんもおんなじ体験をしてた。

働く兄と同居してた頃、深夜に帰宅する兄が部屋散らかしてそれを片付けるのは許せた。

でも、一人暮らしを始めると、他人が部屋を散らかすのが許せなくなったという。

そして、その理由をシンプルに言語化してる。

 

人間、理不尽なことに接する機会が減ってくると、今度は逆にイライラすることが増えてくる

 

平日は基本、一人暮らし。

家の中は全部自己責任。

自分の思い描いた通り、自分の行動した通りにしかならない。

そこに、ストレスは「孤独」しかない。

「孤独」がなくなると、今度は「思い通りにならない」というストレスがやってくる。

なんだこの厄介な生き物は!

どんな状況でもなんらかのストレスがあるじゃないか!

生きている間四六時中毒を吐き続けている姉が頭に浮かぶ。

 

本は、「答え」はくれない。

そんなものはない。

でも、きっかけやヒントは本の中に落ちてる。

ツッコミ過多・減点方式の世の中で、ボケに転身して加点方式で生きる。

いい本だった。

あとは、具体的な自分の行動へ。