チャンチャン

14番でどうぞ。

 

すっかり定着した、スーパーの支払い方法。

バーコードスキャンまでは人がやって、支払いは機械でやってね、というスタイル。

レジ1台につき、支払機2。

スキャン終了の人がどちらかの支払機に振り分けられ、だいたい待たずに清算できる。

自分でスキャンする「セルフレジ」はなかなか定着しきらなかったけど、こちらはストンとハマった気がする。

 

〇〇円です、という機械に現ナマを投入していく。

小銭が多い時は、小銭優先で入れていく。

キャッシュレスを推奨しながら、クレジットカードはいけるけど、なぜか交通ICは使えない。

マナカ派の僕にとって、少々不服。

何か、大人の事情があるのだろうか。

 

1円玉を投入し、1桁目が「ゼロ」になったところで、残り50円。

・・・ない、50円玉。

10円玉も3枚。

しゃーないね、100円玉をぶっ込む。

『ありがとうございました。レシートをお受け取りください』

おう、レシートをちぎり、50円玉・・・が出てこない。

うそ?確かに入れた硬貨に穴は空いてなかったはずなんだけど・・・。

不安そうに清算機を見つめて、オロオロしていたが、レジをしてくれた女の店員さんが「大丈夫ですよ」とニッコリ。

その笑顔に「いや、大丈夫ではないんです」とは言えず、買ったものを袋に詰める。

詰め込んだ後、名残惜しそうに清算機を眺めてしまう。

レシートには「お釣りゼロ」の文字が。

最後にぶっこんだのは、確かに100円玉だったはず。

でも、ここで「あの〜、清算機が間違えました」と言い切れない。

ぶっこんだのが100円だったという証拠がない。

でも、こんな気持ちになったのは初めてだ。

きっと、清算機は間違ったんだ。

そうに違いない。

でも、店員さんに言って、清算機バラして、もしズレてなかったら、もう二度とこのスーパーに来れないほど恥ずかしい。

そして、50円のために、そこまでの作業をしてもらう価値はあるのか?

リスクを冒して頼む必要があるのか?

清算機が間違っていたとして、50円返してもらって、悠々と店を後にすることができるのか?

 

その時、僕は思い出した。

この前、早朝道端で50円玉を拾ったことを。

金は天下の回りもん。

あの時の50円と、これでチャラ!

無言を通して、帰れました。

 

チャンチャン。

 

僕はもう、清算機を信じていない。