坊ちゃんの誕生日が来ると、「あっ」って思い出す。
僕が結婚したのと同時くらいに仕事辞めた地元の友人。
それから、どこかでガツンと働くきっかけを失い、ずっと無職、なのかな?たぶん。
結婚してすぐに坊ちゃんが生まれたから、坊ちゃんの年齢とその友人の無職歴はニアリーイコール。
奥さんと坊ちゃんが里帰りの夜、久し振りに電話してみる。
もう、1年ぶりくらいだろうか?
僕は僕で、ずっと余裕がない生活をしていた。
受話器の向こう、変わらない声。
今日は、いつもと変えた。
「仕事始めた?」とか、聞かないようにした。
代わりにロシアはなぜウクライナへ突っ込んだのかを真面目に聞く。
たまに心を許せる友人とたわいもない話でダベる。
なんやかんやで、これが一番楽しい時間かもしれない。
ありがとう、嬉しかった。
その友人は最後にそう言って電話を切った。
今まで、そんなシメはなかったような気がする。
ついつい、「勿体無い」って思っちゃう。
あいつなら、どっかの会社でちゃんと仕事できるのに、って。
それを、やめた。
いや、やめ切れてはいない。
口に出さないようにした。
どっかの会社で正社員として働いて、そこそこの収入を得て、結婚して、家庭を築いて。
ついつい、他人をそこに寄せたくなっちゃうお節介。
そんなのは、僕のエゴでしかない。
冷静に、客観的に俯瞰したら、何が「勿体無い」のか、さっぱりわかんないはず。
でも、家に引きこもっているのは、それはそれで辛いはずなんだ。
だから、最後の「ありがとう」なんだと思う。
アメリカのとある囚人に「お前の恐れていることはなんだ?」って聞いた人がいて。
答えは「自分の人生に意味がないこと」だったんだって。
なんか、その言葉に、自分の真芯を揺さぶられた。
そう、「勿体無い」んじゃなくて、「前向きに生きて欲しい」「イキイキしてて欲しい」とか、なんかうまい言葉が見つからないけれど。
でも、今の僕には一本大きな筋があって。
強制しないようにしたい、価値観を押し付けないようにしたい。
そんで、なんか助けがいる時は、助けたい。
でも、そういう奴ほど、助けを求めてこないんだ。