抜いたコンセント。
その根本にはそびえ立つ巨大な鉄の箱。
冷蔵庫。
思えば、僕が生まれた時からずっと冷蔵庫は動き続けていた。
止まったのは、引っ越しの間と大掃除でズラす少しの間だけ。
僕は、そんなにも何かを所有して冷やし続ける必要があったのだろうか?
稲垣えみ子さんの本に衝撃を受けてから、2年以上経って。
ようやく「抜いてもいい」と思えた。
行動できた。
あんなに衝撃を受け、「これだ!本当の省エネはこれだよ!」って思ったのに、僕は冷蔵庫でナニカしらを冷やし続けていた。
理解することと行動までもっていけるかは、本当に別物だ。
いや、行動していないうちは「理解した」とは言えないんだ、きっと。
頭でわかっていても、行動まで到達していないのらならそれは「頭の引き出しにしまってあるだけ」なんじゃないか?
なんだろう。
あの時の僕は、背伸びしたり、はしごを使ったりしても届かなかったんだ、その行動のレベルに。
えみ子さんのレベルと僕では行動のレベルが違いすぎたんだ。
高校野球。
熱心な相方が甲子園を録画して擦り切れるまで繰り返し観て、その動きを研究していた。
映像を録画するのなら、もっと高いレベルのものが甲子園よりも手軽に入手できた。
プロ野球だ。
でも、あえて甲子園。
「プロだとレベルが高すぎて、自分と違いすぎて参考にならない。甲子園がちょうどいい」
相方の言葉の意味が頭の中でこだまする。
この言葉、すごい。
自分の立ち位置が相対的にわかっている、ということだ。
僕なんて、な〜んも考えずにやってたなぁ・・・。
バカだねぇ・・・。
もう、すごい後悔なのさ。
ちょっと話が逸れたけど、要はえみ子さんの本を読んでから右往左往しながら、僕なりに遠回りしながら、でも最短でもがき続けてあの時のえみ子さんに届く位置に到達した、そういうこと。
でも、これは本当に近道をさせてもらっている。
えみ子さんの本を読んでいなかったら、僕は間違いなく死ぬまで冷蔵庫のコンセント挿しっぱなしだったと思う。
「コンセントを抜く」って発想がないから。
ありがとう、えみ子さん。
なんだか今夜は家の中が少し静かな気がします(笑)。
明日から僕の冷蔵庫は近所のスーパーです!