ダサイとは、ありのままの自分を認めないことである

ダサイとは、ありのままの自分を認めないことである。

自分の嫌な部分を恥じることである。

そんな気がする。

その特徴を認め、隣の芝生は青く見えるけれども、この自分の特徴を活かすにはどうしたらいいだろう?

なかなかその思考には向かない。

子どもの頃、自分の髪が天然パーマでクルクルしてて、めっちゃ嫌だった。

サラサラヘアーでスポーツができて服もオシャレな男子が羨ましかった。

髪を切ってくれる人は年代を経て、住むところが変わっていく度に変わっていったが、誰もこのクセッ毛を活かそうとはしなかった。

今の美容師さんが初めて肯定してくれた。

いいクセだ、と。

肯定してもらって、良い感じに毎度整えてもらって、自分の天パを肯定的に見れるようになった。

そうなると、気持ちいい。

ただ一つ、残念なこと。

中年の域をまっしぐらに生きる今、順調に髪の量は減っている。

もっと早くから、自分の髪を肯定したかった!

そしたら、もっといろんな髪型を試したり、楽しくできた気がするから。

おっと、イカイカン、今の去り行く髪の毛のこの状態を肯定せねば!