起点、これは他人でコントロールできない

心配なのだという。

自分の息子が。

 

コミュニケーション能力が低い。

一言で表現すると、それに尽きるのかもしれない。

それを強制的に「平均レベルまで上げたい」という願望。

「個性だ」と言いながら絶対にそうは思っていない。

 

わからない。

なぜ、自分の子の能力が低いことを肯定できないのか?

自分が子供の頃能力高かったわけではないから、そもそも自分の子が能力高いなんて、ハナから思っていない。

バカだったとして、当たり前だし。

コミュニケーション能力低くても「そうか」だし。

いや、肯定できなくてもいいよ。

「しゃあねえか、俺の子だし」くらいは絶対に思う。

 

それがね、奥さんは認められない。

しかも、それが「自分のせい」なんだという。

いや、僕の遺伝子も入ってるんじゃないの?

少なくとも半々なのでは?

 

苦手なことは誰にでもある。

ない人なんていない。

それが、「今の時代の正解」とマッチしているかどうか。

それに尽きるんじゃないの?

マッチしていないとして、そのことで悩む意味ある??

 

苦手なことも、克服しなきゃいけないこともある。

ただし、それは本人が「嫌だけど、でも好きなことのためにやる」って決意が必要。

 

例えば、野球しかやってこなかった野球バカに「この高校で野球がしたい」という思いがあるとしよう。

が、しかし。

野球しかしてこなかったから、パープリン。

今の学力で受験したら落ちる。

でも、その高校で野球がしたい。

その思いがあって初めて、「勉強しよう!」となるわけだ。

満田拓也さんの「メジャー」で、茂野吾郎が海堂高校受験するときの話ね。

 

起点、これは他人でコントロールできない。

できるのは、本人がその気になった時にサポートすること。

それだけだと僕は思います。