振り切ったせっかち

きっと世の中には2種類の人間がいて。

予定を楽しみにウキウキできる人と、予定に縛られたくない人。

僕は、完全に後者。

予定が入ってると、なんか嫌。

常に頭の片隅にそれを抱えている、脳のメモリが埋まっている。

余白を保っていたい。

予定が入ってると、「こなさなきゃ」って感覚になっちゃう。

楽しめない。

 

奥さんは真逆。

例えば、旅行の予定が先にあったとして、だんだんワクワクウキウキ。

僕なんて、当日を迎えて「ホッとする」という感情。

漫画なんかもそう。

なんかの漫画にハマったとして、それが既に20巻出ているとする。

奥さんは1巻ずつ買える。

もしくは、20巻買っても1日1巻ずつ読める。

僕にはできない。

まず、1巻ずつ買うなんてできない。

不可能。

出てる分、全部買う。

作者が描き切っていて、発売されていて、なのに読めないということに耐えきれない。

 

生き急いでいるというか、振り切ったせっかちというか。

これは性格だから、変えるのはムズい!!

アルコール利用の新提案

案外社会人になってからも「友人」というものはできるもので。

第一子が産まれたのを聞いて、祝いを送る。

人間、なぜか借りを返したくなるもので。

送られてきたのは「JAMES MARTIN」とやらの、やたらとオシャレな詰め合わせ。

ハンドソープ、これはバリバリ使います。

水だけじゃ落ちにくい汚れの時ね。

もう一個、入っていたのは除菌・消臭用のアルコール製剤。

はて、これはどう使うべきものか?

 

アルコール消毒の習慣がない僕にとって、使い方は未知の領域。

なかなか使う機会がないまま数週間が過ぎた。

 

ふと思いついた。

これ、殺虫剤に使えるのでは?

はい、ここは居心地の良い我が家です。

余裕綽々で徘徊してる大量の虫。

ゴキブリっぽい外観だけど、どこかゴキブリ100%とは言い切れない。

そんな虫さんに強烈に噴射してみた。

数十秒のたうち廻った後、果てた。

 

この使い方、結構ありじゃない?

「ゴキジェット」的な殺虫剤って、噴射してる本人達にも結構な毒なのでは?

そういう意味で言うと、アルコールはたかが知れてる気がする。

しばらく湿っているけど、そのうち蒸発して虫さんの亡骸だけが佇んでいる。

 

オススメの方法、思いつきましたという話です。

 

ザ・シンクロ野郎

大谷選手。

素晴らしいですね。

チョコチョコ動画でそのバッティングを見てる。

シンクロはやってないな。

そう思っていた。

手塚一志さんのアレですね。

言うなれば、松井秀喜さんのタイミングの取り方と同じ。

 

イチロー選手、高橋由伸選手、ここらの「ザ・シンクロ野郎」とは一線を画していた。

今日ね、動画を見たらシンクロしてる。

いやぁ、さらに成績が上がるかも。

打率、という意味で。

 

あるんじゃない?三冠王の可能性。

まだオールスター終わったばかり。

本人のペースじゃダメなんですか?

坊ちゃんは小学一年生。

ピッカピッカの、ね。

通う学校に乗り込んで行って、担任の先生とタイマンで語らう。

そんなイベントを奥さんがこなしてきたそうで。

 

そういう時、聞く側としてはやはり「否定」が刺さる。

学習面では全く問題ない。

人とのコミュニケーションがアカン。

何かを問いただされて黙り込んだり。

言い返せずに手が出たり。

んで、その矯正施設を紹介されたけど人気すぎて今は入れないんですと(笑)

 

なんか、なんかがしっくりこない。

たぶん、その答えは「なんで待てないの?」だと思う。

僕だって子供の時、小学校高学年くらいでも高圧的に何か言われて何も言い返せないことあった。

今でもあるかもしれない。

担任の先生だってあるんじゃないの?

その閾値が人それぞれ違うだけ。

ここまでは言い返せるけど、これは答えられない。

その境界線、年齢とともに変わるもの。

立場によっても変わるもの。

どう生きるかによっても変わるもの。

ほら、黙秘権って言葉もあるじゃない。

 

んで、言わせてもらえば、これでもだいぶマシになったのよ!

ほんの1〜2年前なんて、もっとコミュニケーション下手だった。

本人のペースじゃダメなんですか?

 

鈴木おさむさんのエピソードを思い出す。

我が子の成長ペースが遅いんじゃないか?

親なら誰しも気にしがち。

そんな時、姉からメール?ライン?が入った。

障害を抱えた甥っ子。

歳は忘れたけど、だいぶ大きい。

その子が初めて一人でトイレできたんだと。

嬉しくて泣いた姉。

 

そうだ、あと、少人数だとOKだけど大人数だとうまく立ち回れないのもアカンと言われたそうで。

率直に、大人数NGかつ少人数NGのどっちもダメなパターンよりいいじゃんって思うんだけど・・・。

 

全能力を均して画一的な人間を生産しよう。

そんな風に聞こえてならない。

ダメなものはダメ、これを教えるのはわかる。

でも欠点と長所は表裏一体。

高度経済成長期のように画一的な能力を持った会社員が求められた時代はもう終わった。

個々の「尖り」を尊重し、待てる教育。

そうあって欲しいと僕は思います。

それが「まず肯定する」ということにつながるのかなと。

停滞期

あれ?なんか感覚が違う。

登っている時の安定感。

余裕度とも言えそう。

今までできなかったあの課題、今日ならできるかも。

そう思い立って、疲れ切らないうちに臨んだ壁。

後一歩及ばなかったが、初めてのホールドまでいけた。

ボルダリングの話。

 

しばらく停滞してた。

やってもやっても、次のレベルの壁がクリアできない。

悶々としながらも通い続け、毎回一番簡単なレベルから順に数をこなしていた。

何かが、そのレベルに達したのだと思う。

それが何なのかはわからないけれど。

 

ハッとした。

たぶん、なんでもそうだ。

世の中案外うまくできていて。

というよりは人間なんて所詮そんなもんだとも言えて。

何かができるようになるまでにはしばらく停滞期がある。

だいたいの事はその停滞期を乗り越えられない。

やめてしまう。

なんの意味があるかわからないけど続けた先に道が開ける時がある。

きっとそれは「過去のやり方に戻る」も含めて。

取説

子供を見ていて思うこと。

それは「子供だからといって物覚えが早いわけではない」ということ。

 

最近だと、宿題で足し算カードのタイム計測。

毎回キッチンタイマーの使い方を聞いてくる。

業を煮やした僕は、即席で取説を作った。

タイマーボタン絵を描いて、①このボタンを2回押して・・・という具合。

 

それ以来、聞いてこなくなった。

今朝、登校前の宿題で取説とにらめっこしながら、5秒遅れくらいでタイマーストップかけていた。

 

反復、手間。

効率化が正しいとされる今の風潮で、大事な部分ってのは省いちゃいけない気はしている。

人間弱いもので。

ついつい、楽しようってしちゃうんだけどね。

これ、登れそう

帰宅すると、家の前に公園に坊ちゃんと、もう一人子供。

砂場の側の木の上に乗っかって落ちてこないサッカーボールを取って欲しいという。

見上げると、赤いボールが木の枝に引っ掛かっている。

生い茂った木の葉が暑い陽射しをほどよく遮ってくれている。

 

さて、棒かなんかで突こうか・・・。

見渡しても使えそうなものは目に入らない。

なぜか木の下に凱旋門のように四つ脚で組まれている単管パイプに目が止まる。

これ、登れそう。

置いてあったベンチを足場に、パイプを掴む。

天井を這うようにボールに迫る。

両足をパイプに引っ掛け、残りを左手で支えながら右手でボールを掻き出す。

 

おおーっ!!

 

下から歓声が上がる。

嬉しいね、ちょっとしたヒーローになった気分。

構造物に対して「登れるか?登れないか?」で見るクセがついている。

ボルダリング技術が私生活でも役に立ちましたという話。