坊ちゃんは小学一年生。
ピッカピッカの、ね。
通う学校に乗り込んで行って、担任の先生とタイマンで語らう。
そんなイベントを奥さんがこなしてきたそうで。
そういう時、聞く側としてはやはり「否定」が刺さる。
学習面では全く問題ない。
人とのコミュニケーションがアカン。
何かを問いただされて黙り込んだり。
言い返せずに手が出たり。
んで、その矯正施設を紹介されたけど人気すぎて今は入れないんですと(笑)
なんか、なんかがしっくりこない。
たぶん、その答えは「なんで待てないの?」だと思う。
僕だって子供の時、小学校高学年くらいでも高圧的に何か言われて何も言い返せないことあった。
今でもあるかもしれない。
担任の先生だってあるんじゃないの?
その閾値が人それぞれ違うだけ。
ここまでは言い返せるけど、これは答えられない。
その境界線、年齢とともに変わるもの。
立場によっても変わるもの。
どう生きるかによっても変わるもの。
ほら、黙秘権って言葉もあるじゃない。
んで、言わせてもらえば、これでもだいぶマシになったのよ!
ほんの1〜2年前なんて、もっとコミュニケーション下手だった。
本人のペースじゃダメなんですか?
鈴木おさむさんのエピソードを思い出す。
我が子の成長ペースが遅いんじゃないか?
親なら誰しも気にしがち。
そんな時、姉からメール?ライン?が入った。
障害を抱えた甥っ子。
歳は忘れたけど、だいぶ大きい。
その子が初めて一人でトイレできたんだと。
嬉しくて泣いた姉。
そうだ、あと、少人数だとOKだけど大人数だとうまく立ち回れないのもアカンと言われたそうで。
率直に、大人数NGかつ少人数NGのどっちもダメなパターンよりいいじゃんって思うんだけど・・・。
全能力を均して画一的な人間を生産しよう。
そんな風に聞こえてならない。
ダメなものはダメ、これを教えるのはわかる。
でも欠点と長所は表裏一体。
高度経済成長期のように画一的な能力を持った会社員が求められた時代はもう終わった。
個々の「尖り」を尊重し、待てる教育。
そうあって欲しいと僕は思います。
それが「まず肯定する」ということにつながるのかなと。