自他共に認めるせっかち。
それは仕事に関してもそうで。
鯔のつまり、それは「ビビり」だとも言えそうだ。
ビビリは起床から既にスタートしてる。
毎朝、特に何の理由もなく始発に乗ろうとする。
人間、必達でない目標にはなかなか届かないもので。
始発を逃して2本目に着席することもしばしば。
始業2時間前、計3回セキュリティカードをピッと鳴らしてまだ照明のついていない事務所に入る。
自動ブラインドの「OPEN」ボタンが押して反応するのはなぜか7時5分頃からだ。
デスク周りを軽く掃除して座る。
ウィーン・・・
微かな小型モーター音。
はて、音源はどこぞ?
・・・あった!向かいの同僚の席。
暑がりな彼はモニターの横に自前でファンを設置していて、会社の電力を使って自らを空冷する。
このご時世でテレワークにまみれ、週1日出勤するかしないかの頻度なのにね。
機械は気づかない、嘘つかない、繕わない。
本音しかなくって、建前がない。
淡々と正直に状況に応じた動作を繰り返す。
手を伸ばせば、停止できる。
嫌味ったらしくメールすることもできる。
でも、しなかった。
まず、肯定しようと思った。
その同僚は悪く言えばだらしない。
ファン動きっぱなしなんて、1度や2度じゃない。
身だしなみだってだらしない。
でも、その分おおらか。
キッチリすることを捨てて、だからおおらかでいられるんじゃないか。
だとすれば、そのだらしなさを否定すれば彼の長所であるおおらかさも失われてしまうのではないか?
僕は、その小さなモーター音を認めた。
8時になり、事務所の空調がON。
ファンの音は掻き消され、認知できなくなった。