母からの電話。
自分の息子に対してもまず「明けましておめでとうございます」から始まる元旦。
日本人は真面目である。
小麦粉の摂取を減らしている、という。
何にも事情知らない人からしたら「だから何?」って話なんだけど、これは僕にとってはメラメラに衝撃的。
今まで、常識から外れたことに対してまずは否定から入るのが常だった。
ダウンジャケットを持たず、なぜか極寒の真冬でもダウンベストを買いなさい!と冬の到来の度にキレていた母。
米をやめ、1日3食をやめた僕が実家に帰る度に眉間にしわを寄せ、顔で全力で否定していた母。
だから、「小麦はやめたほうがいいんじゃない?」って僕の提案をまさか受け入れる方向で行動すると思っていなかった。
血圧の薬を何年も飲み続け、しまいには勤務中に倒れたという父。
変わるいいきっかけになれば、とジョコビッチさんの本やらウイリアムデイビスさん(外国のすごい人)やらの本に付箋貼りさくって実家に送りつけた。
ここ読みなっせ!ってね。
それが母の行動を変えている。
母の何が変わったのか?
僕は思う。
それは「受け入れる力」であり、「認める力」だと。
脳の手術に失敗し、後遺症が残った母。
田んぼと同じ名字の親戚の家に囲まれた田舎にある実家。
働きに出ることも、もうできない。
車を運転することも、できない。
まともに歩くことも、できない。
手術後は聞き取れるように喋ることも難しかった。
辛かったと思う。
でも1年かけて、おそらく母は向き合ったのだ。
「できない」自分と。
そして、きっと受け入れたのだと思う。
ニュースで東京の街の風景を見て「外をこんなに人出歩いとって信じられんわ!」とコロナ渦での東京に毒づく。
これも、僕にとっては夏に雪が降るくらい衝撃。
昔の母だったら「太平洋側の奴ら、みんな感染してくたばれや!」って言ってたかもしれない・・・ごめん、さすがにそこまでは言わないか。
東京に雪が降ってステーんと転ぶおしゃれな都会人を観て「ざまあみろ!」と夕飯の準備をしながら吠えていた母。
北日本側の母は、山の向こう側で雪に埋もれずのうのうと暮らしている人たちが、当時は許せなかったのです(笑)
そんな母と会話していて、なんとなしに今年のテーマがぼんやり見えてきた。
まず、肯定から入り、認め、受け入れる。
まとまりきっていないけど、そういう生き方をテーマに、今年を過ごしたいと。
そう思ったのです。