家の玄関を開けると、ピザ2段くらいのサイズのダンボールがゴロリ。
何これ?と質すと、壁に掛ける時計を買ったのだという、奥さん。
中身を見る余裕もなく、半開きの目でシャワーを浴び、食べ、寝た。
翌朝、その姿を見るとなかなかシンプルかつ端正な佇まい。
一見、無印良品に置いてありそうだけど、さらに一段階高級感を感じる。
奥さん曰く、電波時計かつ無垢の木材を使っているのだとか。
ならばそこそこのお値段なのかと思いきや、1万円ほどだという。
不意に、一個数百万円の腕時計が頭に浮かぶ。
あれは、一体なんなのだろうか?
機能を完全に超越した価値。
それは、他人が羨むと皆が信じている、思い込んでいるということでしかないのではないか。
そういう僕も、テレビで著名人が「これは〇〇の時計で・・・」とやりだすと、それがすっごく高価なもので、なんだかとってもステイタスなものに見えてきて、羨ましいような気持ちが芽生えてくるのである。
ステータスシンボル、そういう言葉があったっけ?
野村克也さんは数百万円の腕時計をいくつも家に残して、天に召されたのだろうか。
その時計は、今も時を刻んでいるのだろうか。
100万円を超えるロレックスを義父からもらったというダンディドラゴンに聞いてみたことがある。
なんであんなに高いの?と。
答えはシンプルに「わからない」だった。
そう、その価値は「高い」と皆が思い込んでいる、「その値段でも欲しい」という人がまだこの世に存在する、ただそれだけの理由なのかな?
これは、数百万円するわ・・・と納得した。
部品を一個一個手作りして、自分で組み立てて、自分で精度合わせて・・・。
その手間、期間、技能。
そうやって仕上がった時計は、もやは芸術作品の域。
万が一、べらぼうにお金に余裕があったら、欲しいかも。
素直にそう思いました。