概念がないから

慰安婦に土下座する安倍さんの銅像が、設置されたという。

場所は、韓国の動物園だか公園だか、どっか。

 

なんか、昔はそういうニュース見て腹が立った。

今、腹が立つかというと、そうでもない。

本気で、命がけで、魂込めてはやってないよね?

それは明らか。

なんでそう思うかっていうと、土下座してんのが「安倍さん」だから。

いや、十分偉い人ですよ、日本では。

めっちゃくちゃ偉い人だと、そう思います。

どっかの中小企業の社長さんが「俺は政治は嫌いなんだけど安倍さんは好きなんだ!!」と営業時間外の深夜に居残りでお店に居座り、「ちゃんと勉強してくれよ!」と店のオーナーを叱りつけてたのを思い出すよ。

ああ、ごめんなさい。

話が逸れました。

安倍さんといえば、僕の中では「安倍さんと食事したことある」ってことをアピールして自分と安倍さんを同化させ、「俺、すごいんだぜ!」と胸を張る、腹の出た社長さんの「政治嫌いの安倍さん好き」が蘇るのです。

飲食店ってのは、売り上げが上がって嬉しいはずなのに、出来事として嬉しくないこと、多いよね。

「お金払ってるから」だから、何してもいいじゃんって感覚、これ注意ね。

お金を払って得る対価と礼儀は別もんだよね。

 

話がだいぶ逸れちゃったけど、本気で、命がけで、魂込めて銅像作るなら、土下座するのは「天皇陛下」になるんだよ、きっと。

でも、そこまでしないでしょ?

なんか、やることがせこいんだよなぁ。

 

おんなじようなことは、例えば野球の試合で勝ったときマウンドに旗立てたり、竹島になんか作ったり、数えだしたらキリがない。

ラグビーの強豪国は、勝っても派手に喜ばないという。

そういうカッコよさが、僕はカッコいいと思う。

でも、そういう感覚がないならしょうがないのね。

 

結局、過去を水に流すという概念がないから、延々と続くんだろうね・・・

寂しいねぇ、この関係性が続くのは。