全ての不安は相対的な比較から

奥さんが子育てで悩んでいる。

一人息子、4歳。

2月生まれで他の子たちより物覚えが悪い。

口が立たない。

プラス、器用な方ではないのだろう。

自然、周囲とうまくコミュニケーションが取れず、イライラ当たり散らす。

結果、孤立する。

保育所でうまくいってないらしい。

 

車のエンジンオイル交換でディーラーに赴く。

坊ちゃんを連れて行った。

年上の男の子がかまってくれたのだが、それを振り払ってしまう。

あぁ、保育所でもたぶんこんな感じでやっちゃてるんだろうな。

 

坊ちゃんは保育所でのフラストレーションを奥さんにぶつける。

奥さんが参ってしまった。

「どうしたらいいのかわからない」とオロオロしている。

兄弟がいないということも大きいのだろう。

 

僕はというと、特になんとも思わない。

思わないというか、そりゃあ僕だって坊ちゃんにうまくいってほしい。

保育所でみんなと仲良く楽しく、行くのが嫌でない、というのが理想だろう。

ただ、「うまくいかない可能性もある」ことを元々想定しているし、受け入れているだけだと思う。

 

子供の頃、義父に包丁を突きつけられた友達がいた。

泣き叫ぶ声が家の外まで聞こえてきたこともあった。

真面目に働いていたけど仕事をやめ、それから立ち上がることができず、何年も引きこもっている友達もいる。

 

現実は、時に残酷だ。

人が他人にしてあげられることは、少ない。

運良く生き残り、地道にコツコツ積み重ねた者に対し、女神は微笑む時がある。

ずっと順風満帆な人もいる。

山あり、谷あり、そんな人もいる。

ずっと浮かばれないままの人もいるだろう。

生まれてすぐに人生が終わってしまうこともある。

くそ悪党が長生きすることもあるだろう。

上をみてもキリがないし、下をみてもキリがない。

 

全ての不安は相対的な比較から生まれる。

奥さんは一体どこの誰と坊ちゃんを比較してオロオロしているのだろうか?

家にいる時は元気だし、笑ってもいるし、何より健康だ。

僕は十分だと思う。

人間、自分が抱えている中で一番うまくいってないことに目がいく。

それが目立っちゃう。

比較対象を広げていくほど、それは大したことなかったりするんだけど。

 

今うまくいってないことが、どこかのタイミングで好転するかもしれないし、しないかもしれない。

「こうではないか」ということをコツコツぶつける。

そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。

坊ちゃんが今より少しでもマシになればいいな。

それを望むのみである。