大空で抱きしめて

大学院時代、それは研究室での生活とイコールだった。

月曜から木曜まで学校に泊まり込みで実験に明け暮れた。

金土日はアパートで寝るけど、土曜日も毎週学校に行き、日曜日まで出る週もあった。

唯一の娯楽は土曜の夜に徹夜でドラマ「24」を観ること。

さすが、アメリカ。

中身が激烈に薄っぺらいんだけど、ハラハラドキドキで、めちゃくちゃ面白いの。

シーズン5が最高傑作と思います。

 

卒業の半年前までに、修士論文を完成させる!

誰から強制されたわけでもないのに、無意味な目標を立て、そんな生活を送る理由。

暇だったのである。

恥ずかしいが、正直なところ、それしかない。

 

そんなある日、修士1年の冬。

研究室の教授に呼ばれた。

書類の雪崩で雑然とした教授室で、依頼された。

Tさんの修士論文をやってくれ。

他人の研究を代わりにやってくれ、というお願い。

Tさんは、僕の一つ上の学年で、卒業間近。

しかし、登校拒否?なのか、しばらく姿を見ていない。

卒業するための研究を全くしていない状況だった。

 

怪訝そうな顔をする僕に、先生は顔のナナメ上に両手を合わせた。

お願い!

なおも不服そうな顔をする僕に、先生は満面の笑みで、頭部をメトロノームのように揺らしながら、言った。

君見てたら、何でもできる〜!!

必死に不満顔を崩さないようにしたが、今思うと、完全に緩んでしまっていた。

尊敬する先生に、そう言われ、飛び上がるほど嬉しかった。

 

地獄の日々が、始まった。

本来、2年かけて完成させる修士論文をたったの2ヶ月で仕上げなければいけない。

時間が、圧倒的に足りない。

AMから次の朝まで延々と実験し、7時に出勤した先生を捕まえて、実験結果について報告する。

次の方向性を決め、そのまま研究室で眠る。

AMには起きる。

次の朝まで実験したり、論文を集めて読み込んだり、考えたり。

起きれそうにないときは、窓を開けて、あえて段ボール一枚の上に寝た。

そうすると、寒さと床の硬さで起きることができた。

 

この時の自分を肯定してはいけない。

今となっては、そう思います。

でも、楽しかったんだろうな。

そうも思う。

でも、「何で俺がやらなきゃいけないんだよ」という屈折した気持ちもあった。

Tさん、反則だろ、ズルいじゃないか、と。

 

何とか目処が立った後、とある飲み会で先生にぶちまけた。

何でこんなことしなきゃいけなかったんだ?

Tさんのためになっていないじゃないか、と。

Tさんが留年すればいいだけじゃないか。

意外な言葉が返ってきた。

 

確かに、Tさんのためにはなっていない!

でもな、君のためにはなってる!!

 

返す言葉が、なかった。

そして、その言葉は事実だった。

 

就職難と言われていた当時、就職活動はあっけなく終わった。

一緒に面接を受けていた人で、僕より「やっていた」人などいなかった。

 

適応障害で会社を辞め、飲食店での修行も肺炎とともに幕を閉じ、路頭に迷っていた時。

先生は人づてに知り、頼んでもいないのに、僕のために就職先を探してくれた。

結局、そこにはいかなかったけど。

 

「でもな、君のためにはなってる!!」

忘れられない言葉の、一つ。